社史(1970ー1990年代)

1972年

米国CE社と技術提携開始

■CE社(コンバッションエンジニアリング=現アルストム)ライセンス
当時世界の3~4指に入るエンジニアリング会社のライセンス
三菱重工業:ボイラー発電用プラントの技術ライセンス
弊社:工作機械・溶接装置の技術提供・CE社の実績の技術(図面)の提携 ライセンス契約

CEライセンス第一号契約 インド
初めてのプラント輸出である
2回続けて 三菱商事を通して注文(まだ貿易をしたことがなかった)
当時で4億くらいの物件であった
見積時@360であったが急激な円高により@280での決済となった第1次円切り上げの時代である

1976年

10周年パーティ

CEライセンス第三号契約 韓国
発電用ボイラー製造工場 :現代洋行
・当時(昭和42年)まだ日本人がほとんど韓国に入れなかった時代である 男女とも迷彩服の頃に「李元華」 (朴政権のクーデター時に将軍であった方と出会い。李氏に飛行場まで迎えに来て頂きVIP待遇を受けた。)
・韓国が誇る「現代グループ」より分離独立した「現代洋行」との出会い。

1977年

韓国貿易連絡事務所設置

1980年

本社事務所を江坂に移転

1981年

15周年記念パーティ

1984年

アメリカCE社へ訪問

カナダへ訪問

来島ドック
「パイプ自動切削ライン」
*世界でも初めての「コンピューター制御」による設計・連動したパイプラインを作った=3次元設計

1985年

ハルピンボイラーとの出会い

ハルピンボイラーは三菱重工業との提携先であり長崎造船所のボイラー製造工場視察にこられていた当時のハルピンボイラー工場長(現機械電子工業の副部長)へ弊社機械設備を三菱重工より紹介いいただいての縁である。(写真はハルピン氷祭り)
・当時の工場長には中国中のボイラーショップを見せてもらった(30社くらい)
・まず手をつけたのは「鋳物」の輸入を始める。 昔から中国は技術も原材料もある(北京事務所を始めたころ)

40周年記念

インド訪問写真

1986年

本社事務所を現在の緑地公園に移転
アメリカでは「技術者のためには自然環境の中の職場が最適である」と言われているそうです。
写真は会社の看板です。ロゴは前会長の直筆です。

駅から出た景色・会社から3分歩けば緑地公園が...

1989年

現社長入社

1990年

現会長は1年のうち、半部以上を中国で活動
ジケイ・タンケイで骨董品・すずり(リケイ)に買いに行ったり・ツイ朱・掛け軸など中国の逸品・今流行の「玉」などもお土産に買ってはプレゼントしていた

1992年

中国取引先来訪
日下部は海外のお客さまを会社にて歓待が習慣

CE社 アメリカにて
会長・社長ツーショット

1995年

インド要人迎えて

1997年

社内旅行

ハルピンボイラーとの合弁会社設立

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